ロジャー・ダルトリー 翻訳

2019年1月ロジャー・ダルトリーのインタビュー

投稿日:


ロサンゼルス・タイムズ紙によるロジャー・ダルトリーのインタビュー。読んでいて、本当に変わっ・・いえ、面白い人だと思ったので、インタビュー部分のみ日本語に訳しました。

英語原文はこちらです。

ピート・タウンゼントの自伝「フー・アイ・アム」が500ページをはるかに超えているのに対し、あなたの記録は250ページにも満たないです。その差というのは、意図的だったのですか、それともあなたがどんな人物なのかを表現する、そのものズバリで的を射たアプローチなのでしょうか。

あの本は俺が何者なのかを表している。俺と、俺の人柄についてだ。ザ・フーについての本じゃない、俺の人生行路だよ。バンドが投げかけた問題に俺がどうやって対処したかについても書かれている。フー・ファンはがっかりしてるよ、音楽について俺が十分に話さないから。だが音楽をあれこれ語るのは、ものすごく退屈さ。「『セックス・ドラッグ&ロックン・ロール』の本」はやりたくなかったんだよ、いずれにしろ俺はやってなかったしさ、それに、そういった本はある意味、中身がないだろ。それにセックスについて、どんだけ話せるっての?ただ退屈なだけだ。俺は誰も有名人とはやってないし。

表向きには、あなたはよく、防弾チョッキを着たイカついイメージで見られます・・・それに、あなたがピート・タウンゼントとキース・ムーンに、異なるきっかけでパンチをお見舞いしたのも知っています。それなのに、もっと繊細で、傷つきやすい印象を与えていますよね。あなたのファンに、違う一面を見せたかったのですか?

ただ正直なだけさ。それに俺は繊細だよ。だからこそ俺は素晴らしい歌手なんだ。素晴らしい歌手であるためには、歌っている歌詞に感情移入してないと。驚くほど繊細でないと、それは出来っこない。もっとも俺は、やられたらやり返す人間だが。・・・だから初めの頃の数年間は、完全に間違ったやり方だったかもしれない。

ピートはよく「ロックの知識人」と言われていますが、あなたもちょっとした博識家ですよね。この本はそこにも触れていて、ある時点では「取り残された中流階級の歌い手のための集団歌唱と演奏による効果」に関する論文を引用しています。 あなたは色々と興味をお持ちなのに、ほとんど触れられていません。 なぜあなたのそういった局面にもっと入り込まなかったのですか?

俺は人生でたくさんのことをやって来た。ツアーとツアーの間に、じっとしておく人間じゃなかったしね。だから何もないところから湖を作ったんだ、いつも壊れちまうブルドーザー数台でさ。俺たちは泥水の中で、それはもう奮闘したよ。4つの養魚場をこしらえたんだ。マス農家になって、それからその科学と川の浄化に興味を持つようになった。イギリスの河川では、あまりにも多くの悪き慣習が行われて来ている。それ(浄化)を20年間やったんだ。そいつに関しちゃ、本当に学んだよ。そうして俺達はテムズ河に鮭を戻したのさ。とても誇りに思っている、そういう類の事はたくさんあるよ。だけど、魚について話したって、ひどく退屈だろ。誰も魚なんか気にしやしない。

素晴らしいのに、カットした物語は何かありましたか?

そりゃ面白いエピソードはたくさんあるさ、でも殆どは知られてるよ。キース・ムーンの物語をずっと与え続けることだって出来る。でも、やりたくなかったんだ。

あなたとキース・ムーンの関係は常に緊迫したものでしたが、この本では、振り返ってみると、あなたは彼の破壊行為の物語を、ユーモラスさを差し引いて、もっと悲劇的なものとして見ていますね、彼が群衆から逃げようとした際に、誤ってボディガードを轢き殺してしまった時のことを含めて。フー・ファンは、彼らが大事にしている通説を再考することに肝要でしょうか。

ファンは聞きたいことだけを聞くさ、でも俺は気にしないよ。これが俺の物事の見方だからね。キースって奴は、多くの面で、驚くほど悲劇的だった。(ステージでのキースのドラッグに溺れたパフォーマンスを巡って)俺達がデンマークで喧嘩した後、2~3年の間、俺達はかなり距離を置いていた。だけど終わり頃には、俺はあいつと親しかった人間の一人だった。妻のヘザーと俺は、朝の4時の電話に出てやる最後の人間だったよ、電話の向こうではキースが泣いていた。

あなたはジョン・エントウィッスルとは難しい時もあったと述べています。彼を「天才」と呼ぶ一方で、あなたやピートにとってあまりにも大きな音で演奏することになったのは、彼の激しい自我のせいだとも。親しくなるのはもっと難しかったのですか?

そうだ。俺たちはジョンを「ジ・オックス」と呼んでいたが、ピッタリな名前だったよ、というのもアイツはすんげぇ頑固だったから。ジョン・エントウィッスルについて変えられることなんか、一つとしてなかったね。例え金を持ってなくても、奴はロックスターになろうとしてたし、ロックスターのように生きようとしてた。そのために俺達はいつも救済してたよ。

何年もの対立があった後、あなたとピートが年をとるにつれて親しくなって来たことに、満足していますか?

不思議な関係さ。俺達は出かける仲間のようには親密じゃない。なんというか、家族のようなものだ、兄弟みたいに。俺が兄弟を持ったことはないけどさ。でも、そうじゃないかも知れないね。本当に特別なものだよ。まあ、俺たちの関係を表す言葉はないのかもな。

ピートはあなたの本を読んだのでしょうか?

知らないよ。俺はアイツの本は読んでないけど。(快活に大笑い)
実はな、俺は自分について書かれたものは故意に何も読まないようにしてる。それにアイツが書いたかも知れない、俺の頭から離れなくなっちまうようなことは何も読みたくなかったからね。

次は何を?

最大のプランはキース・ムーンの映画をスタートさせることだね。すごく難しいんだよ、伝記映画は作りたくないから。俺は素晴らしい映画を作りたいんだ。ブライアン・ウィルソンの『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』は素晴らしかったが、あれを除けば、みんな同じ罠に陥ってるようだ。俺達は新しい脚本に取り掛かる。やり遂げるつもりだ、自分が何をやりたいのか、ちゃんとビジョンがあるからね。

それに、ちょうどオーケストラと演った自分の『トミー』公演のライブ・アルバムをリリースしたいんだ、『トミー』50周年記念としてね。これこそ常に、『トミー』が演奏されるべきだったやり方だよ、管弦楽とバンドが一緒でさ。ロックバンドが犯す間違いの一つは、オーケストラをただ単に「パッド(注:音楽用コントローラー)」、・・・って俺は呼んでるんだけど、「パッド」で演奏してしまうと、シンセサイザーで演奏された音楽になってしまうかも知れないってこと。今回の『トミー』は、きちんとアレンジされ、単独でも持ちこたえるオーケストラ、打楽器の作品だ。そこには何も感傷的なお涙頂戴はない。みんながやっちまうもう一つの間違いは、ロックを除いてしまうこと。ピートが『四重人格』をロックバンド抜きでオーケストラと演った時と言ったら、・・うむ、『四重人格』からロックを取り除くなんちゅうのはだな、俺にとって、意に反するね。意味をなさないよ。でもさ、二つを一緒に合わせると、そりゃあ大したもんになる。完全に圧倒されたよ。大成功だ。

我々が最後に話してから、あなたは新アルバムと、ザ・フーとツアーするのを認めました。このツアーはどんな風に違ったものになるのでしょうか。『ア・クィック・ワン』のような、熱心なファンがライブで見たがるこだわり曲には、ピートはあまり興味がない、と仰いましたよね。

他のことは全部やっちまったから、アイツは考えが変わって来てるよ。俺のソロ公演では、『ハウ・メニー・フレンズ』や『ドリーミング・フロム・ザ・ウエイスト』、『アセーナ』、それにザ・フーが演奏したことのない他の曲もやった。ピートは『ブルー・レッド・アンド・グレイ』をやらないだろうけど、俺はやるさ。俺たちは話し合って、アイディアを出し合っているところさ。

ザ・フーにはヴォーカリストとギター奏者がいます。今でもベーシストとドラマがいる、他の古いバンドもいます。ポール・マッカートニーやリンゴ・スターと一緒にツアーに出て、『キャント・エクスプレイン』や『アイ・ソー・ハー・スタンディングゼア』のような曲をやるのを今まで考えたことはありますか?

(笑って)ポールのことは近いうちに観に行くよ、でもそいつがうまく行くとは思わないな。俺達の音楽とビートルズのと、混ぜ合わせることは出来ないと思うね。

Comments

-ロジャー・ダルトリー, 翻訳
-, , , , , ,

Copyright© <ザ・フー>The Who's Japanese Fans! , 2024 AllRights Reserved Powered by micata2.