ザ・フー(翻訳)

2019年RolingStone紙のピート・タウンゼント・インタビュー

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RolingStone紙に掲載されたピート・タウンゼントのインタビューが音声でポッドキャストとして公開されています。

記者がロンドンを訪れると、ザ・フーの広報から接触があり、このインタビュー、元々はロジャーも一緒にホテルで行う予定だったのが、ロジャーの都合でピート宅に変更。記者が地下鉄を乗り継いで1マイル(約1.6km)歩いて行くと、約束の10分前にピート宅に着いてしまい、ピートを急がせたくなかったのに、電話が電池切れ。仕方なくピートを呼び、「水かお茶でも?」と聞かれて「結構です、でも電池が・・・」と答えると、ピートが「OK、充電してあげるよ」と言って、コードを見つけてきて、充電してくれたそうです。(親切ですね!)

かつてはロン・ウッド邸だったピートの屋敷の地下にあるスタジオの描写や、ロジャーとは電話で話した事などに続いて、インタビューの要約が記者によって語られていますが、記者のトークは省略。
ピートが若手のバンドからの「フーは良いよ、ヒットを演奏するだけでさ」という辛辣なコメントに侮辱されたと感じ、インタビュアーに「俺はまだやれる」のを証明する必要がある、と話したところだけにします。

ピートが出演するのは5分頃から。


 

一年の休暇を取った。南米で演奏したよ。「デザート・トリップ」、それから南米へ行ってメキシコで演奏したんだ、去年はね、忙しい一年が終わったから、10月に決めたんだ、一年の休暇を取るって。その1年は個人的な事をしながら、次は何が起こるのか、探ろうとしていた。そうすると、俺は楽しんでいなかったのに気がついた。「デザート・トリップ」は楽しんだし、南米やメキシコも楽しんだ。幾つかのイタリア公演も楽しんだ。
アメリカやイギリス、ドイツやフランスが楽しくないと言ってるんじゃないよ。たくさんやってるから目新しさがかなり減っているだけだ。新しいテリトリー、それに「デザート・トリップ」で演奏するのはすごく良かった。ある意味、コンペだからね、有名どころがみんな集まって、ものすごくエネルギッシュだった。コーチェラではツアーのヴァイブレーションを感じた。大いに興奮したよ。そこで先の見通しを立てて、考えてみたんだ。再びツアーを長い間するなんて、何か疑わしくないか、と。俺たちはクリエイティブな仕事をしていなかったが、俺はクリエイティブな仕事を必要としていた。しょっちゅう書いているし、しょっちゅう作ってるし、物語や歌詞や詩、そういうものをずっと、絶えず書いてる。映画は作りたくないし、写真は撮らない、そういうのは何もしないんだ、若い時にやったようなのはね。

そこで条件が一つ生じたわけだ。マネージャー達に会いに行って、言ったんだよ、「いいかい、もし俺達がアルバムを作れるんなら、俺は曲を書くぜ。もし俺達がアルバムをツアーでやれるなら、ツアーをブッキングしても良いかも」って。それで曲を書いたのさ。

それからはちょっと不透明だった。実際に何が起こったのかというと、ロジャーがさ、あいつは自身について、確信が持てないんだよ、クリエイティブな仕事とか、あいつの声だとか、将来とか、全てにおいてさ。実際、ツアーについてさえ、全然はっきりしてなかった。奴のために、それはあいつ自身で話させないとな。俺に言わせれば、よし、先へ進んでツアーをやろうと思った。それでイギリスのポリドールへ行って、俺の書いた曲を聞いてもらったら、彼らは興奮してた。握手して、前へ進んでもOKだと感じた。普通ならAEGと働くんだが、今回は、俺の初めてのクラシック版「四重人格」ツアーを一緒に手がけたライブ・ネーションとだ。すごくいいオファーをくれたんだ。俺たちは大概、AEGで、ラリー・ファロンという仲間と働くんだが、俺らの昔からの知り合いで、誰から見てもかなり初期のスタジアム公演のアナハイム・スタジアムを一緒にやったんだ。ブルー・チアーか誰かが一緒だったと思うけど、1970年だったと思うよ。当時ラリーは俺達と一緒で、ワイスモーラー(注:表記が誤っている可能性あり)という奴もいて、一緒になってできた会社がAEGだ。だけど奴は病気になって、もういない。だから俺たちは新しい誰かとスタートできると思った。それでライブ・ネーションとやるんだけど、一緒にやるのは久しぶりだ。

4月に始めるよ、4月後半から5月にかけて。(注:実際に公表されたツアー日程は5月からです)ニューヨークから始めて、シカゴ、デトロイト。北東部や北部中央で演奏する。どこなのか、はっきり知らないけど。

インタビュアー:米国ではアリーナで演奏するのですか?

アリーナ、もっと小さな公演、それに2〜3のスタジアムで演奏するよ。何処なのかとか、いつなのかとかはよく知らないけど。

インタビュアー:今の時点でですが、新しい曲はやりますか?

それが問題だね。特に仮定したくないんだよ、やるのかやらないのかはね。ロジャーも俺も、間違いなく演奏したいと思ってるんだ、定期的には演ってなかった出し物を。今回はグレイテスト・ヒッツを演奏するツアーになるだろう、でも俺たちは少しだけ違うことをしようと願っている。去年の夏に、ロジャーは「トミー」をオーケストラでツアーしたんだ、キース・レヴェンソンという奴の助けを借りて。さかのぼること93年にブロードウェイ版「トミー」で仕事していた時、俺も会ったことがある。キースは音楽監督で、ツアーを率いていたからね、彼のことは知ってる。バンドをまとめたり、サウンドレベルの問題で、彼はロジャーを助けていた。俺もオーケストラの題材はちょっとやったんだよ、家内とね。クラシック版「四重人格」を メトロポリタン歌劇場でやって、他の場所でもいくつか演ってさ、そうするのはとても楽しい。それで、ロジャーはオーケストラをフーのツアーにも取り入れたがっていた、ちょっと違う形でやれるようにね、どの曲もオーケストラで、ってわけじゃないが、それが今のところの構想だね。だけど、何も決まっていないよ(笑)

省略:キース・レヴェンソンやその奥さん他の人脈の話

俺達はおそらく、「トミー」や「四重人格」をたっぷりオーケストラでやって、そういうアレンジに適するように選んだ曲を演るだろう、俺たちの範囲が広がるようなのをね。つまり、多分、「ライフハウス」や「フーズ・ネクスト」の頃のちょっと軽めの曲をさ。「タイム・イズ・パッシング」とか「トゥー・マッチ・オブ・エヴリシング(注:ピートの発言通りに表記。エニシングの言い間違いと思われます)」みたいなバラード調のを。演奏すると、そういう曲は何だか力を失ってしまう、使い捨ての一発ヒット曲のようなものだ。だが、オーケストラと一緒に大きな会場でやれば、上手くいくかもしれない、わからないけど。そんなとこだね。

インタビュアー:サポート・バンドは前のツアーと同じですか?ザックや皆んなと。ピノは今いませんよね。

うん、彼は今、働いてるんだよ、ええと、(インタビュアーの助けを借りて)・・ジョン・メイヤーとね。長いツアーをやっている。俺は1年間休んだしさ。だからピノは戻せないかもな、でも俺はジョン・ボタンに満足しているよ。彼はいいよ。ピノは独特だ。並外れている。彼が去ってしまったのは残念だよ、彼とザックはなんというか、まとまりかけていたからね。でも、ジョンはいい。本当にいいよ。見かけもいいし、人柄もいい。手に入れ難いプレイヤーだ。ステージでの音もいい。クレージーな瞬間が懐かしいけどね、ピノのある種の狂気がさ。何かすごいものと一緒に現れることがあってね、というのは彼はいつも基本的にはシンプルだから。時々何かが爆発する。・・でも、そうだ、同じバンドだよ。

インタビュアー:「トミー」50周年ですが、最近のツアーではやらなかった「トミー」の曲をやりますか?

今、それを言えるかなあ。俺は「トミー」にすごくトラブルを抱えている。この間、ロイヤル・アルバート・ホールで「トミー」をやった時は、ティーンエイジ・キャンサー公演のためにやりたかったんだけど、半分過ぎたところで、引き金になって(体調が)急変したんだよ。作曲した頃は気がついてなかったんだよね、俺に個人的な問題がたくさんある、ってことにさ。おそらくこれは次回の会話で、だな(笑)だから俺たちはメドレーみたいなのを演るだろう。いつもと違う何かにはならないよ。

インタビュアー:オーケー、「スパークス」も「アメージング・ジャーニー」も好きですよ。「四重人格」はどうです?

同じくきっちりしたメドレーになるだろう。どちらもバンドを率いてオーケストラとやるのは興味深い。ロジャーがオーケストラとドラムでやったツアーを聞いた時、「うわぁっ!」って思ったよ、ドラムと弦楽器の組み合わせは難しいんだ、ノイズが生じるだけじゃなく、リズム的にもシンコペーションがかなり失われてしまうから。でもロジャーのショーを聞いたら、何もかもが良かった。そこにいた演奏家達や、オーディエンスの人達もね。だから上手くいくように願っているよ。

インタビュアー:米国で、ファン・クラブ公演を、・・おそらく少人数向けですが、行うのは考えていますか?

すべきだよね、と言った後、ピートの友人がビーコン劇場にボブ・ディランを見に行った話になり、ここ15年ほどはディランと似通ったものがあって、「幸せとは訪れるものではなく、起こることに従うもの」と気づき、息子にも「信念を持て、60になれば曇りがちな気持ちも高まるよ」と話したこと、ディランもおそらく同じことが起きたんじゃないか、と語る。

インタビュアー:(話を元に戻そうと)では、ザ・フーとビーコン劇場で演奏したいのですか?それは違ったものになると?

大いにしたいね、でもいつになるか、はっきりわからない。今のところ、今年の冬までを契約したから。でも、それはロジャーと俺ができるものではあるね。ザ・フーと一緒にやるのに、すごく難しいことの一つは、ロジャーと俺が頑張ることじゃないんだ。俺達に意思の疎通がないことさ、何年も俺達は会話を発展させたことがないんでね。おそらくあいつも意義を唱えないだろう。自分の側に問題があるとは思わない。あいつが多分、気後れするように感じているか、俺がややこしいと感じてるのか、よくわからないけど、俺達は全然違う考え方をするんだ。だから俺達がビーコン劇場のようなところでショーをするなら、全く違うものを望むだろう。同じ場所でやるのに難しいのは、・・今、俺達はオーケストラと何を演奏するのか、上手くいかせようとしているんだが、それは、キース・レヴェンソンのような奴や、俺達のために、俺達が何を演奏できるか決めようとしている誰かにたわごとをぶちまけるようなものだよ(笑)

インタビュアー:(ロジャーには)メールするのですか?ショートメッセージ?電話?どうやって連絡します?

電話だよ。それが一番確実だ、電話ではあまり決断しないけどね、でも、ロジャーはEメールを始めたばかりなんだ、メールはあまり上手くないんだよ(インタビュアーと一緒に大笑い)

ウッドストック50周年の話:省略

インタビュアー:ファンは「バイ・ナンバーズ」や「セル・アウト」の曲を聴きたがっていますが。

やってみたいね。数年前にリハーサルしたんだよ、45曲をね、実際にショーでもすることになった。君らファンは好きなんだよね、だが、おかしなことに、今フーを見に来る大勢の人達はハードコアなファンじゃなくて、その音楽をよく知らない。彼らは俺たちがくたばる前に見に来るのか、俺達の評判のせいで来るのか、好奇心から来るかだ。だから彼らは必ずしも音楽は知らないのさ。南米やメキシコ、ボローニャのようなイタリアの小さなテリトリーで演奏することの何が面白いかって、音楽を知らなかった本当にたくさんの若いファンが、ユーチューブのせいで、(フーの音楽に)馴染んでいることだ。だからある時点で、そういう曲をやらずにいられなくなることもあるだろうね。命を吹きこもうとしているそういった曲に関してだが、それらのアルバムってのは、俺達がやった時、特に熱中してたわけじゃなかったんだよね。

インタビュアー:ですが、「イマジン・ア・マン」や「ハウ・メニー・フレンズ」を再び聞くと・・・

(遮って)例えば「イマジン・ア・マン」はね、アルバムが出たときのことを覚えてるけど、少なくとも20通の手紙をハードコアなフー・ファンから受け取ったよ。「クソッ喰らえ、嘘だろ?死んじまえ、こんなの、俺らが期待するフーじゃねぇ!」って言ってるやつを。

(「イマジン・ア・マン」から歌詞「Then you will see the end(そうして君は終わりをみるだろう)」の部分が流れる)

それで思い返してみるけど、うん、本当にいい曲だよね、リフレクションについてだ。まだ若かったんだよな。みんながフーに期待するものじゃないだろうが、俺達が振り返って、もう一度見つめるのは面白いかもしれない。でも、ちょっと自伝的になるんじゃないかと思うんだよ。

インタビュアー:「セル・アウト」の馴染みがない、今までやってないようなのは、やってみたいですか?

お前さん、ファンみたいに聞こえるがな。

インタビュアー:すみません、ファンなんですよ。(笑)

うん、そうだね、いいかい、ロジャーはしょっちゅう、(そう言う曲を)俺に強く求めて来る。俺がロジャーについて言うことがいちいち否定的に聞こえて欲しくはないが、あいつには難しさがあると思うんだ。あいつの声は素晴らしいし、その素晴らしさを保つのに、ものすごく奮闘努力している。何度も手術を受けて、健康やら何やらを追い求めたりしてね。あいつの声はおそらく、俺達が働き出した頃と同じくらい素晴らしい。もっとずっと良くなってるし、もっと経験を積んでて、フーの月日を通じてもっとずっと結びついている。その一方で、あいつはいつも新しい曲や、以前にやってないことを紹介するのに、ひどく心配するんだ。あいつと俺が集えば、このブランドを支えられるだろう。それは俺達の周りで成長したヴィジョンに伴ったブランドであり、それはあいつがザ・フーに抱くヴィジョンである必要はないし、俺がザ・フーに抱くヴィジョンである必要も当然ない。何と言うか、その真ん中で起こるものだ。俺達はそういう曲をリハーサルし、演奏し、把握し、やってみて、サウンドチェックして、1時間半に拡大したセットだってするかもしれないし、2時間半やるだろうから、それを2〜3日やって、それからすぐにロジャーから新しいセットリストが来るだろうね、この前やったのと同じのが。あいつがセットリストを作るから。だからこれはあいつへの謝罪ってわけじゃないけど、あいつは自分のペースを保つようにしなきゃならないんだ。だから俺達は、例えば、やることの基準を低く設定できると思うよ。もっと広範囲なショーで、もっと長いショーをやりながら、目立たない曲をやってさ。でも、それが落ち着かなく感じる奴もいるだろうね。ファンは好きだろうけど。だから多分、俺達にとって、違う種類のショーに目をやる時なんだ。俺はずっと拒否してきたんだけどね。何故かっていうと、ずっと感じてきたんだよ、実際には何が起こるんだろうって。俺自身が少しばかりやってきて、ロジャーも同様に少しやって来たからね。実際に起こるのは、こんな傾向になりがちなんだ、例えばディランが何年も何年もやって来たみたいにさ、やりたい様に曲をやれば、それはファンが望むようなやり方じゃないってことだ。目新しさを見つけたいのに。

インタビュアー:新しいアルバムに移りたいと思います。状況は?秘密裏に行われましたね、何も知りませんでした。

うん、話したように、条件だったんだよ。新譜を持つまで、ツアーの契約は何もするつもりはなかった。これはヒット・アルバムに欠けること、ザ・フーが新しいアルバムを必要とする事実には何も関係ない。単に、純粋に個人的なことだ。俺に何が起こったかといえば、俺は出かけるところで、ババ・オライリーの最初のシンセのオルガンを聞いていたんだ、ああ、賢い青年だったんだなって思いながらね、俺は24か25、26歳だった。それに俺達が最後にやったアルバムは13年前だし、当時は苦労してやり遂げたものの、ちょっと急がなくちゃならなかった。だから思ったんだけど、そういう状況にはなりたくないし、他のミュージシャンから辛辣なことを言われるのもごめんだ、特に栄冠を狙ってる若手からはね。古いたわごとのためにグレイテスト・ヒッツを引っさげて出かける、それは賢明にも、小切手を抱えて這いつくばって死にに行くようなものかもしれない。それで考えた。

オーケー、俺はクリエイティヴだ、俺はまだクリエイティヴなんだ、俺はまだしょっちゅう書いてる。だからアルバム作りを引き受けたかった。そして思った、もし任せられたら、もしそうしたいんなら、曲を書かなきゃならないし、本当に、すごく素晴らしいデモにして、ロジャーを興奮させなきゃ、って。というのは、ロジャーは苦戦してたからね、それはもう疑いなく。俺はあいつのソロアルバムで助けてやらなきゃならなかった。あいつは出したくなかったんだけど、聞いてみて、「クッソ素晴らしいじゃないか!」と言ったんだよ。そりゃあ「サージェント・ペッパーズ」てわけじゃないが、ソロ・アーティストに相応しいレコードだ。見事に歌ってるし、選曲も素晴らしい。それはそうと、それはあいつが出したいアルバムじゃなかったんだよな、俺が聞いたのはR&Bものだけで、他には何も余計なのはなかったが、俺も気に入った。

それで、それはもう何度もあいつを攻めたてたよ。あいつは度々励ましてやる必要があるんだ、あいつは自身のクリエイティヴな仕事での立ち位置がはっきりわからないからね。あいつには多くの歌手の抱く問題があるんだと思うよ、彼らは自分の曲を書かないから。あいつは書けるんだけどね、他の奴らと一緒にさ。

・・とにかく俺は出来のいいデモを作る必要があった。それでひと夏かかって、40曲を作り、15曲をデモにしたんだ、すごくいいやつをね。それからデモを送ると、レコード会社のみんなが夢中になるし、インタースコープ(ユニバーサル・ミュージックの傘下にある米レコードレーベル)は夢中になるし、広報も夢中、マネージャーも夢中、バンドも夢中、・・・なのにロジャーは音沙汰なし。(インタビュアー、笑う)

それで最後は結局、返事をするように脅さなきゃならなかった。だけどそれは俺が望んでたものじゃなくて、あいつと来たら「嫌いだ」とは言わず、しばらくバカ話だけ。そこで結局、言っちまったよ。「あのな、お前がこれを嫌おうが、気にしないよ。お前は歌わなきゃならないんだよ、10年も経てば好きになるさ」って。(笑)そしたらあいつは元気付いて、最善を尽くして歌うよ、って言う。あいつが歌えないのもある、多彩な選曲のセットになってるから。俺の趣味は広いんだ。

省略:ピートが発見した新しい音楽について(ピートのブログ翻訳をご参照ください)

インタビュアー:それで、デモだけですか?ロジャーは何か歌いました?

いや、素晴らしい出来のデモだけだよ。俺は生涯で5つのレコーディング・スタジオを所持してきて、常に使っている。だからすごくクオリティが高い。ロジャーが本当にしなきゃいけないのは歌うことだけ。俺達がちょいと調整する。ザックはパーカッションを手伝うが、これは彼がドラムを叩くって意味じゃない。でも彼がドラムを叩きたければ、もちろんやれるようにしてみるけど、基本的にはビートで手伝ってもらう。弟のサイモンは形を整え、アレンジするのを手伝うだろう。それから俺達は全てを渡すかもしれない、リミックス・エンジニアにね、ロジャーがライブでヴォーカルを終わらせて、俺のヴォーカルも同じく終わらせたら、それが俺が他の曲にもやろうとしていることならさ。いつ(アルバムが)出るのか、全然わからないよ。
3月の初めまで、ロジャーはいないんだ。だから彼には十分にヴォーカルをやる時間がないのさ、今年はね。

インタビュアー:多分あなたがプロデューサー?それとも・・

そうだなあ、俺がデモをプロデュースしたけどね、・・「エンドレス・ワイヤー」で起こったのは、俺がある意味事実上のプロデューサーだったってこと。自分のために作ったレコーディグをやって、ただザ・フーを加えただけから・・・。

インタビュアー:では、今回は「エンドレス・ワイヤー」とはかなり違うサウンドに?

そんなに違いが必要とは思わないね。実験的なエレクトロニック色を帯びたダークなバラードが数曲あるし、ヘヴィーなロック調のもある。サンプリングのもある。・・・

以下省略。

スタジオを建設した経緯、レコード会社から父の日にリリースするように言われていることなど。

尚、このインタビューの数時間後にロジャーから記者に電話があり、ピートの返事をしなかった理由として、鼓膜を損傷して耳の感染症にかかり、ひどい頭痛があって、何も聞こえなかったこと、自伝のプロモーションと重なって多忙だったと答えています。

因みにロジャーのEメールですが、全く下手ということはありません。普通に会話し、添付もするし、スカイプもしています。ピートの求めるレベルがかなり高いのかもしれないですね。

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