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元モット・ザ・フープル:モーガン・フィシャー・インタビュー

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以下は2010年にザ・フー公式サイト・フォーラムで行った、私ことkallanとモーガン・フィッシャー氏のインタビューです。ザ・フーとクィーンに関するものを抜粋し、再喝します。


 

2010年2月に日本の東京、画廊gallery bauhausの『インサイド・モット・ザ・フープル』写真展で行われたモーガン・フィッシャー氏のギグを拝見しました。(有名な神田明神の近くですが、迷ってしまい、何度も地図を確認しました)素晴らしい作品展で、ツアー中のモット・ザ・フープルやクィーンの写真は見応えがありました。

「ザ・ラブ・アフェア」のキーボードとしてスタートし、その後、世界で最も偉大なバンドのひとつである「モット・ザ・フープル」に参加しましたね。そのことを私たち(フー・ファン)に何か。

どうやってモットに入ったかって?簡単さ。「ラブ・アフェア」(それとただの「モーガン」という次のバンド)が解散した後は一文無しだったんだ。メロディ・メイカー紙(注:英国音楽雑誌)で広告を見た。オーディションを受け、仕事を得て、それから彼らと一緒にツアーに向けてアメリカに出発したんだよ。

「モット・ザ・フープル」が当時、お金を稼いでいたと大衆は思っていましたが、彼らを写すのにあなたが使っていたのは、普通のカメラでした。それに来日した時、あなたが英語教師として働いていたと伺ったのですが・・・。

ロックスターは絶対に、思ってるほど稼いじゃいないよ。大金を得るのは作曲家だけで、僕は何も曲を書かなかったしね。僕がモットから一番もらった給料は(若干のレコード印税の支払いは別にして)週に35ポンド(約4700円)だったと思うよ!

日本では最初の数か月間英語を教えて、それからすぐ、もっとずっとましなコピー制作の仕事を得たんだ、1985年にね、ヤマハのシンセサイザーマニュアルとカタログを書いたのさ!

あなたは80年代から日本に住んでいます。当地に何か特別な思い入れがあったのですか?

昔から日本文化は好きだったよ、それで仕事もバンドもお金も無かったときに、ちょいとやってきて、覗いてみて・・・そしてここにとどまったのさ!

最近ではお目にかからないように思えるし、パブリシティーから遠ざかって長い期間がありますが、実際には現在、あなたのコマーシャルソングは、日本でかなり人気があります。あなたの音楽の嗜好は変わりましたね。初期の頃から現在あなたがやっているパフォーマンスのタイプとその進展について話してもらえますか?

日本が僕に新しいことを試させたんだよ。みんな注意深く聞いてくれるからね。だから大昔にイングランドの自宅で個人的にやっていたことが、此処では出来るのさ。毎月のSuperdeluxe公演は、僕にとってリラックスして自由に即興するのにいい機会なんだ。コマーシャルソングは厳密に言うとお金を稼ぐためさ(それでももちろん、音楽的には全部とてもいいよ)

最近は御自分のことを「サウンド・ペインター」と称しておられます。とてもユニークなスタイルですよね。音楽における瞑想みたい、と思うのですが。実際に、仏陀のようなポーズをとっているファンをあなたのギグで見かけましたよ。日本に住んでいることで何か影響を受けていますか?

さっき言ったのに付け加えると、日本は自分の作品のもっと個人的な面を見せてくれるんだ。だから、仏教だのなんだのから直接の影響は受けていないよ。でも僕は日本人の繊細さと美学に影響を受けている。ティーンエイジャーの頃から、環境音楽や抽象芸術、スピリチュアルなものとかがずっと好きだったよ。ロックやソウルも好きだったし、そういうのがほとんど偶然に自分のライフスタイルになっていった。でも今、日本では、もっと自分が元々好きだったものに戻ることが出来るんだ。

私たちはこのインタビューを実際、英語で行っていますが、あなたは日本語が大変お上手です。上達の秘訣は?

ちゃんとしたアクセントで日本語を話すよ、みんなそう言ってくれる、でも僕のボキャブラリーはまだまだだね。耳から獲得するだけで(それに時折は参考書で)、むしろ音楽を学んだ方法みたいにね!勉強は苦手なんだけど、吸収するのは得意なんだ。

昔の話に戻りますが、1974年にクィーンと行ったアメリカツアーのことを話して下さい。クィーンの「ナウ・アイム・ヒア」はそれに影響を受けたと聞きましたが。

ああ、彼らがあの曲でフープルのことを言ってる、それだけだよ。でも彼らはみんな、モットのパワーやステージ度胸に影響を受けたよ、僕らは彼らが前座を務めた唯一のバンドだし、知的な面々で、彼らが僕たちから学ぶものは多かったよ。それに僕らは毎晩、最高のアフターショー・パーティーを開いた。- ホテル・ルームのカオスさ!エアロスミスやキッスでさえ、僕らのパーティーには感動してたよ!

その後、1982年にクィーンのツアーでキーボードを弾いたんですよね?

そう、ヨーロッパツアーだけね。『ホット・スペース』だ、彼らのベストアルバムじゃない(と思う)けど、『地獄へ道連れ』や、特に『アンダー・プレッシャー』は好きだったよ。

あなたが撮った1974年の写真で、フレディ・マーキュリーはとても幸せそうです。あなたはかつて、クィーンがその全盛期には、疲れて見えたと言いました。

今、フレディに会えるなら、彼に何と言いますか?

そうだね、音楽をありがとう、君は本当に素晴らしいフロントマンだ。でも、どうか、他のバンドのメンバーに、君と同じくらい楽しんでおおらかさを持つよう、励ましておくれ!そうすればもっとロックになってポップじゃなくなるだろうから、もっとモットみたいにね!って言うかな。

1974年アメリカツアーとあなた御自身のアーカイブDVDも見たんですが。「ロックン・ロール黄金時代」を学ぶのに貴重な情報の一つですね。おまけに、バンドの色んな側面を見られて、新たに彼らを捉えるんです。

気に入ってくれて嬉しいよ!(これって質問だったの?)ーもっとみんなが買いたいっていうのなら、自分のウェブサイトで販売するだろうね。父が僕に8ミリフィルムをくれて良かった、素晴らしい70年代のイメージを若干とらえることができたから。

最初のバンド、「ザ・ラブ・アフェア」では、ザ・フーと同じ出し物に出て、一緒によく飲んだとおっしゃいました。ザ・フーとの関係を是非もっとお聞きしたいのですが。

どちらのバンドも、ソウル・ミュージックに大いに傾倒していたんだ、同じ音楽的ルーツだよ。それに両バンド共、ロンドンっ子で、モッズだ。彼らがアンコールで『マジック・バス』をやるときに僕たちが同じステージにいたら、キース・ムーンは僕らにドラムスティックを渡して、全員が巨大なドラムキットに加わったことだろう。彼らとは、昔はよく素晴らしいメンバーズ・クラブで会っていたものさ、「スピーク・イージー」だよ、あそこではビートルズやヘンドリックス、ビーチボーイズ達にも会ったね。

ある夜、キース・ムーンが僕を彼のアパートに連れて行ってくれて、大きな金のフレームに囲まれた、壁に刺さったシャンペンのボトルを見せてくれた。夫婦喧嘩の際に、奥さんに投げたんだけど(幸い当たらなかった)、次の日には素晴らしく見えると思ったんだ。

僕とラブ・アフェアの歌手、スティーブ・エリスは、霊的な「降霊術(テーブルのコップを用いて文字を追い、死者の霊と話そうとすること)」のために、ロジャー・ダルトリーの家によく行っていたよ、何度か怖い思いをしたよ!一度ザ・フーのスタジオにいた時、(映画監督の)ケン・ラッセルがやって来た。彼らが再生していた音楽のことを熱烈に褒めちぎり始めたんだ。彼が去った後、ジョン・エントウィッスルが(いつもはとてももの静かなのに)、あきれたように目をむいて言ったよ、「なんてtwat(嫌な奴)!」(フー・ファンならtwatって何なのか、知っておかなくちゃね)

1994年にハマースミス・オデオンのミック・ロンソン追悼公演でロジャー・ダルトリーと競演しました。何かミック・ロンソンについて覚えていることは?ロジャー・ダルトリーともっと演奏できればと思いますか?

ミックは非常に寛大で、とてもクリエィティブだったよ。僕が彼を知っているのは、モットが解散する前のほんの少しの間だ。彼は、気品と粋とロックという珍しい組合せを持ち合わせていた。いつもは本当に心が温かくて、友好的だったけど、音楽やショーに何か問題があれば、時には激しい怒りを見せたよ。ひたむきな人間だったのさ!最近、(モットの再結成公演で)彼の家族全員に会ったよ、とても愛すべき人達だ。彼の娘のリサ・ロンソンは素晴らしい歌手だよ。

そうだね、もっとロジャーと演奏したかったよ(あの公演ではたった2曲だった。)もうひとりの素晴らしいパフォーマーだよ、あの公演のリハーサルですら、長いコードでマイクをブンブン振り回し始めたんだ、僕たちはみんな、打たれないようによけなくちゃならなかったよ!それにあの声ときたら!彼と競演したら、誰でも感銘を受けるね。

モット・ザ・フープル再結成コンサートについて話してもらえますか?まだ更なる公演はありますか?ないとしたら、何か問題があるのですか?

彼らは去年、イギリスで7つの素晴らしい公演を行ったよ、全てソールド・アウトで、全部見事だった。Youtubeでたくさん見られるよ!彼らにはこれ以上やる計画はないよ、特にイアン・ハンターは自分の音楽で忙しいし、ベーシストやドラマーは実際もう演奏したがってない。それにミック・ラルフスは最近バッド・カンパニーの公演をやっている。

昨年11月に「MOTT THE HOOPLE - MEET THE KEYBOARDS」公演をロンドンで行いました。グループの一員でいることと、ソロアーティストであることの大きな違いは?

もっと静か!それにこじんまりした場所になればなるほど、親密になって、僕らは観客と非常に密着してた。それもたくさんYoutubeにあるよ!この僕のYoutubeチャンネルでアップロードしたのが見られる。

http://www.youtube.com/user/morganfjp

モットの他のキーボード奏者ミック・ボルトンやブルー・ウィーヴァーと一緒にいられて楽しかったよ。それに僕たちにはとてもスペシャルなゲストもいた、ジョン・フィドラーだ、モットの後のブリティッシュ・ライオンズの歌手で、今でも素晴らしい声をしているよ。

コンピューターは楽器になりました。今やあなたはそういったシステムを使うばかりか、おもちゃですら音楽作りに使っています。あなたの楽器について話して下さい。

昔のアナログなキーボードをたくさん持ってるよ、僕と同じくらい古いのもある!ハモンド、ワーリッツァー、フェンダー・ローズ、 ホーナー・クラビネット等々・・・普通のもの以外にも、多くの珍しい楽器を持っているよ。僕のクラビオリンとオンディオラインはザ・フーがまだ結成されてない頃に発明された真空管シンセサイザーだよ!そういった楽器の温かみのある音がとにかく好きなんだ。アールマイティーな新しいデジタルキーボードほどの選択肢はないけど、もっと特徴的で直感的なものがある。僕のウェブサイトのライブ情報ページに少し写真が置いてあるよ。

http://www.morgan-fisher.com

クィーンがモット・ザ・フープルの前座をしたときに、何か面白いことは起きましたか?

フレディーは僕たちのアメリカツアーである朝、本当にひどい二日酔いだった、僕はホテルのレストランに行って、彼が目玉焼きの皿の上に顔を突っ伏して眠っているのを見たよ!ブライアンはそのツアーで肝炎にかかり、みんなが注射を受けないといけなくなった。イギリスツアーでは、僕たち全員一緒に、毎日バスで旅行しよ。いつも僕は、典型的なイギリスのラジオコメディ、The Goon Show(注:BBC製作コメディ番組)のような、面白可笑しいコメディの脚本を読んでみんなをよく笑わせていたな。多分それで8年後に、一緒に演奏してくれるよう、クィーンが僕に頼んだんだと思うよ。


インタビューここまで。

随分昔のインタビューですが、楽しんでいただければ幸いです。

モーガンさん、その節はありがとう!

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