ザ・フー

ピート・タウンゼント -「初めてのとき」

投稿日:2019年12月15日 更新日:


ローリングストーン誌が投稿したピート・タウンゼントのインタビュー。

スタイリッシュなエフェクトに、思わずファッション誌のインタビューかと見まごうような、キラキラ感溢れる動画となっています。
10分を超える長編から、「初めてのアメリカ」「ジミ・ヘンドリクスとの初めての出会い」「初めてザ・フーをやめようと思ったとき」を取り上げ、聞き取りに日本語訳をつけました。実際の動画もぜひご覧になって下さい!

引用ここから〜〜〜
・初めてのアメリカ
そんなわけで、これが「最初の時」です。

初めて僕たちがアメリカで演奏した時は、ニューヨークへ行き、そこには自称「5人目のビートルズ」と名乗るDJがいて、「マリー・ザ・ケイ」という人でした。僕たちは大きなショーをやり、それは1週間続くもので、「マリー・ザ・ケイ・コンサート・パーティ」とかなんとかいうやつで、エリック・クラプトンのバンド「クリーム」や他の出演者と共に雇われました。ウィルソン・ピケット、サイモン&ガーファンクルとか、様々なゲストが行ったり来たりしていました。そして僕らは7日間やり、1日に4回、公演しました。なので11:30頃に始め、ショーをやり、またショーをやって、(深夜)2時半とか、そんな感じでした。そして、その各々の公演で、僕はギターを壊していました。それで、合間に(ギターを)組み立て直さないとなりませんでした。何度も接着剤でくっつけては「サブスティチュート」と「マイ・ジェネレーション」を演り、またギターを壊していました。この件で一つ言っておくと、チケットを買って、もし居たければ、一日中滞在できたこと。そのため、僕たちは、今日もまだ一緒にいて全てのショーを観ているような、ハードコアなフー・ファンを盛り上げないとならなかったんです。

・ジミ・ヘンドリクスとの出会い
ええ、それは貴重な体験でしたね、ロンドンのナイトクラブで、きらめくような。彼は非常に素晴らしかった。ジミ・ヘンドリクスというのは何なのか?本当に理解するには、彼を見なければならなかったと思う。もちろん僕は会ったことがある、彼は僕たちのレコード・レーベルにいましたから。彼がスタジオに来たんです、マネジャーと一緒にね、チャズ・チャンドラー、「アニマルズ」と言うバンドのベース奏者で、チャズは辞めて、マネージメントに専念し、ジミ・ヘンドリクスを発掘すると、そのバンドを作り上げたんです。ジミは「クリーム」や「ザ・フー」がステージでやってる機材のようなことには疎かった。アンプについてアドバイスしたいと思いました。だから言ったんです、「僕はずっとマーシャルを使ってきて、改造にも力を貸したけど、てんでダメだと思う。この新しいアンプはハイワットって言うんだけど、高音域がいい。一つずつ買いなよ」って。それで彼は購入したけど、マーシャルに落ち着いたと思うな。面白いのは、まあとにかく、演奏を始めたけど、もちろん見事なプレイヤーで、素晴らしい演奏者、それに独創的なんだけど、彼はとても美しい声をしていました。素晴らしい歌手ではなかったけど、美しい声、スモーキーで、非常にセクシーな声でした。
(ジミ・ヘンドリクスの映像)
スタジオで会った時、彼はヒッピー時代を呼び覚ますことになるミリタリー・ジャケットを着ていましたが、埃やフケにまみれて、小汚く見えた。それで思ったんです、「そうだな、つまるところ、この男は大丈夫かもな、女性をメロメロにする有名人じゃなさそうだ」と。僕は間違っていたんでしょうか、それがアリーナで彼を見ると、彼は「シャーマン」のように見えた - それが僕の唯一表せる言葉です。これが正しい言葉なのかどうか分からないけど、彼の中から光が出てきたようでした。彼がステージに出向くと、すぐさま光に照らされ、それは本当に優雅でした。ただ腕を動かしてやっていただけなのに、舌や指も使っていたけど、ただ良い音を弾いていただけじゃなく、とても優美でした。それはまるでオーケストラの演奏家のようでした。
少ししてから、エリック・クラプトンに電話して言ったんです、「観に来なきゃダメだ。俺たちのレーベルにいるんだけど、観に行かないと」って。そして僕たちはロンドンのナイトクラブへ行きました。エリックがそこで、客席にいるのを観て、ジミは感銘を受けてましたね。ある瞬間を覚えていますが、エリックと僕は手を握り合わせたんです。僕たちはまるで握手をしているように感じました。エリックは僕が連れてきたことに感謝していました。

続いて以下の質問が続きます。

・最初にビートルズを聴いて
・初めて誇りに思える曲を書いた時
一般に言われている「It Was You」ではなく、もっと早い時期から作曲していたようです。

・初めて「ザ・フー」をやめようと思った時
ほぼ初日から。本当にできる限りすぐにでも、と思いました。今でもそうです。それは彼らを判断しているわけじゃありません、僕を判断してのことです。僕が加わった仲間は、最初の方でも言いましたが、ロジャー・ダルトリーの集団でした。僕が彼の仲間でいたいと思った理由は、彼がタフで、恐れられていて、ある種のガキ大将のようだったから。今はもう、そういう奴ではありませんが。でも当時は、僕が育ったウエスト・ロンドンのアクトンのミュージック・シーンで、彼は本当に強かったんです。だから彼と一緒なら安全だろうと思って。僕は弱くてちっぽけな存在のガキで、子供時代は虐待の問題を抱え、イジメもあった。それで彼に守ってもらいたかったんです。それに、彼のグループには、一番の友人であるジョン・エントウィッスルがいました。
ジョンと音楽を演奏し出したのは、僕が11歳後半か12歳になろうとしていた、初めて中学に行った頃でした。だから僕は本当に良い集団の中にいたんです。でも働き始めるとすぐに、これはやりたい仕事じゃない、と気がつきました。あちこち移動するのは嫌い、ステージには立ちたくない、自分のパフォーマンスも嫌、バンドの他の奴らが単に女の子を欲しがってるようにしか見えないのが気にくわなかったんです。それは「アート」のように感じられませんでした。僕はアート・スクールに行ってたんですからね。だから僕は「アート」に興味があった。金じゃない、女性でもない、いずれにしろ、女の子達も、学校で出逢う女の子達よりマシなわけがないし。(アート・スクールの)彼女達は素晴らしかった、その中の一人と僕は結婚したんですから。だから僕は行く必要がなかったんです。分からないけど、とにかく、嫌だった。だからほぼ初日からですね。そして例えば、僕が初めて「好きだ」と思った時のことも覚えています。多分かなり先のことだったんじゃないかな。最初にアメリカで働き始めた頃だったかもしれないですね、フィルモアやシカゴ、ボストンの会場のような、能力を発揮させて爆発するのを許された場所でした。
気が付いたんです、「おお、俺がギターで大胆にすごいことをやると、ドラマーのキースやベース・プレイヤーのジョンがついて来るぞ!何をしようとしているのか、俺の頭の中を読んでるみたいだ!」と。僕達は本物の繋がりを持ち、「これは何か特別なものだ」と感じさせられたんです。それで以前のように彼らのことを「野暮なチンピラ」とみるんじゃなく、ミュージシャンだと思い出した。僕のミュージシャン達で、僕もその一員である、と。そして今は、ロジャー・ダルトリーと一緒です。彼と一緒にステージに立つ自分を見出す、僕にとって、新たな「最初の時」でもあります。そして、本当に確信を持っています、これこそが、僕がステージに一緒に立てる唯一の男だ、一緒に素晴らしい仕事が出来て、これより良い仕事ができる人間は誰もいないんだ、ということに。

・初めて「ザ・フー」の全盛期が過ぎたと感じた時
省略。初めてキース・ムーンとパンクのコンサートに行った話など。

〜〜〜引用ここまで

 

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