もうオリンピックが始るというのに、モッド・カルチャーの項目ページが完成させられないままだ。閉会式のテーマは「スウィンギング・シックスティーンズ」ザ・フーは『マイ・ジェネレーション』のみ、という予想まで図々しくしておきながら、その背景となる60年代とザ・フーの役割について整理するのは間に合いそうにないので、ツアー開始まで『四重人格』をメインにして行きます。
発売開始後わずか2週間でスタートした1973年の四重人格ツアー。壮大なロック・オペラは次第に出番が削られ、従来のヒット曲の合間に演奏されるようになる。全体が演奏されたのはわずか一度、すぐに『ダーティ・ジョブス』, 『イズ・イット・イン・マイ・ヘッド』 『アイヴ・ハッド・イナフ』の3曲が削られる。
いったい何故コケたのだろうか。
カポを使う曲が大半で、ピートは20回以上もギターを取り替えなければならない。
もちろんバッキング・トラック(録音済みテープ)が上手く行かなかったこともあるだろう。
73年のニューキャッスル公演では、ピートが『5時15分』の曲の間テープがかからないことに怒り狂い、ボブ・プリデンを鷲掴みにし、残りのテープを引き裂いてしまう事件も起こった。「シンセサイザー」という言葉すら知らなかったであろう当時の観客のレビューによると、「バンドはそれに続いて、ムーンがドラムを蹴散らし、ロジャーが気のなさそうにシンバルをマイクで叩き付け、ステージを去ってしまい、観客は茫然とし、水を打ったようにシーンとなってしまった」とある。
さながらバンドのトレード・マーク、「自己破壊芸術」のテープ版である。
当時のオイルショックにより、『四重人格』のファーストプレスは十分に市場に行き渡らなかった。大半の観客はレコードではなく、始めてステージで『四重人格』を耳にすることになった。
当サイト『四重人格』ページをスクロールして「時代背景としてのモッド・カルチャー」の項にも目を通して欲しい。モッド・カルチャーのピークは60年代半ばで、このアルバムが発売されたのは1973年である。
ロジャーは当時の公演MCで、マイ・ジェネレーションで「今からみんなを1965年に連れてくよ!」と紹介し、『四重人格』にも入っている。
モッド・カルチャーに縁のなかったアメリカの観客だけでなく、ツアーを開始した英国の若い観客にすら、モッドは既に身近ではなかったのである。
3年振りの待望のツアー、それなのによくわからない技術の不具合で公演半ばでの休止、舞台に戻って来たピートには「理解と熱意のなさ」を責められる・・・、当時の観客にしてみれば踏んだり蹴ったりだったかもしれない。
(ピートとキースは後でBBCの『Look North』に出演し、謝罪している)
ICA (Institute of Contemporary Arts=現代芸術協会)の推進したポップ・アートが広まりを見せ、モッド・カルチャーがピークとなったのは60年代半ば。
モッドの日常は新しい服を買うことで、皮肉なことに「Who You Are?」という内省的な問いかけに、外面を飾ることでアイデンティティーを確立していた。ティーン・カルチャーやポップ・アート運動の中で、彼等のどうしたらいいかわからない「怒り」を的確に表現し、心を掴んだのが「ザ・フー」だ。
60年代後半になると、ドラッグの蔓延、ボヘミアンの高まりを経て、『トミー』に象徴されるようなコミュニティの内部崩壊、フラワー・パワーの終わりを通り抜けたのが『フーズ・ネクスト』時代の観客達だ。マス・カルチャーはモダンなポップから既にポスト・モダンへ以降していたのである。
1973年と言えばマーク・ボラン、デヴィッド・ボウイといった「元・モッド達」に象徴されるグラム・ロック全盛時代である。
グラム・ロックのアイデンティティーは自己の内に秘めるものを見極めて行くのではない。成りたい自分、相手に見せたい自分に合わせ、「服」ではなく、「仮面」を造り出し、次から次へとつけては脱ぎ捨てて行くのだ。そこでは確立したアイデンティティーなど無用の長物だ。
そしてこの時代の音楽そのものにも変化が訪れている。ファンキーでヘヴィなサウンド、それはリズムのアクセントの置き方やコード進行が今までのポップなサウンドとは異なっている。
ザ・フーは普遍でカテゴライズできない音楽的多様性を秘めており、伝説のロックバンドなのは間違いないのだが、個々のメンバーの音楽的背景はかなり広範囲に及んでいる。個人的に、ピートの曲は、ある東ヨーロッパの民族音楽に影響されていると思っている。そして、その音楽の根幹を為すのは非常にヨーロッパ的な音作りだ。(そのあたりに焦点をあてて書ける日までこのブログが続くのか、甚だ疑問だが)
こうした外部のサウンドに影響を受けた当時の観客にとって、『四重人格』のオーケストラ的な作りがどう映ったのか。
3年ぶりのライブの臨場感を求め、徹夜で会場に並んだ彼等には、理解できない、(彼等のではなくバンドの)ノスタルジーを聞かされたような気になったのではないかと推測する。
ザ・フーが常に投げかける「Who Are You?」という問いに、保守の流れに移りつつあった73年の観客は、観てはいけないもの、考えてはいけないものを見てしまったような、気まずさが残ったのではないか。
ピートは『四重人格』がヒットしなかったことを認め、当時のメンバーを「手の付けようがないほど正気を失ったムーン」「不機嫌なジョン」「ロックゴッドであることに執着したロジャー」と表現している。
だが、当時の新聞でも既に、混乱の中にもロジャーの『愛の支配』が秀逸だ、というレビューがあることを付記しておく。
常に前向きなロジャーは、バンドのケミストリーさえあれば、乗り切れると思っていたのだろうか。それにはバンドのコアメンバーの結束を固めるのが優先だと思っていたのだろうか。(キーボード奏者の同行を拒んだのはロジャー)
いつか尋ねてみたい。
ピートと本物のバイオリンと合わせたオーケストラ音を作るのに使ったシンセサイザー、ARP 2500
資料:『Disc And Music Echo』、『The Who : Concert file』、『Before I Get Old』、『Amazing Journey: The Life of Pete Townshend』、ジョン・サベージ各著書、BBCドキュメンタリー『Can You See The Real Me?』他