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The Boy Who Heard Music

投稿日:2012年10月28日 更新日:


 

ずいぶん前に、facebookに「音楽やミュージシャンを『精神論』では見ないし、語らない」というコメントを頂いたのですが、ピート・タウンゼントの自伝を読むにつれ、避けては通れない話題だと思うので、今回は「音楽と精神:ザ・フー編」をネタにしてみます。
(そのコメントの文脈や主旨とは異なります)

フーのファンだと告げると「ザ・フーは難しくて分からない」という、なんとも残念なリアクションが返ってくるため、「隠れファン」に徹している方も居るかもしれない。

ピートの語る精神世界がとっつきにくい、とか、ライフハウスだの、神秘主義だの、インド哲学だの、とにかく馴染みのないものが出て来る、という意味もあるだろうし、趣味が違うからごめんね、という遠回しな愛情表現の場合もあるだろう。

頭でっかちになる必要はないし、聴いて心地よいならそれでいいと思う、音楽なんだから。

だが、「音楽」と「精神」こそ西洋音楽理念のもと。
この二つを切り離すと、「音楽」という共通概念すら怪しくなってしまう。
ゆとり教育世代の我が子であってもすぐに思いあたる、「倫理の授業で習うもの」でもある。

よって、「音楽と精神(の結びつき)」を否定するのは、ピタゴラスを避けて西洋音楽史を語るようなもの。
ピート・タウンゼントの音楽を探るのには、却って遠回りで曖昧なものになるのではないか、という強引な導入を試みてみる。

「弦の響きには幾何学があり、天空の配置には音楽がある」ーピタゴラス

ピタゴラスは「音」から、「ピタゴラス音階」を作りだし、その響きが心地よく規則的に重なると「和音」になることを見いだした。
更にその和音の連なりが精神的な安らぎをもたらし、音楽療法となることを提唱する。
音楽が人の精神の乱れを「調律」し、覚醒させるのだ。

この「音の重なり」の規則正しい成り立ちとこだわりや理念の延長上にババ・オライリーのシンセサイザーのアルペジオから成るループ、ひいてはミニマリズムがあると思う。シュトック・ハウゼン、テリー・オライリーへの流れを思い浮かべて欲しい。そして彼等は正規の音楽教育を受けていることも付け加えたい。

(尚、ピートはババ・オライリーの作曲方法に関するそれまでの通説「ババの誕生日、身長などのデータをインプットしてはじき出した」を公式に否定している)

 

2005年に発表されたピート・タウンゼントのオンライン小説「The Boy Who Heard Music」だが、

4日前、2003年9月6日、ニュー・サイエンティスト誌にて、作家マーカス・チョーン:
アインシュタインは、ブラックホール内部で時空が急激にゆがむのを証明した。 物質、あるいはエネルギーが空間と時間を引き延ばすのだ。誰かがトランポリンに立っているのと似ている。

ブラックホール内部の重力が途方もないため、この領域を移動している光速を保護する唯一の軌道が、空間と時間の役割を交換するために、時空を歪める・・・。

『故に空間と時間は役割を交換する。場所として存在する代わりに、ブラックホールの中心が未来には存在し、明日を避けられないのと同じく、それを避けることは不可能である』

今日、BBCラジオ4の朝のニュースは、ピタゴラスが予測した通り、「天球の音楽」と呼ばれる宇宙における振動の存在を発表した。ー地球から2億5000万光年離れたブラックホールが低く音楽的な音をたてているのを、宇宙論者らによって観察されたのである。おそらく、B♭だ。(1)

(1) コペンハーゲン理論天体物理学センター所長、アイヴァー・ナヴィコフの研究

という序章から始っている。
 
ピートがこの先見据えているのはピタゴラスの(それまで彼にしか聞こえなかったとされる)「天球の音楽」のようなもので、この知識が欠けると「The Boy Who Heard Music」のMusicの解釈の幅が狭まってしまうだろう。おそらく製作中の『Floss』の「サウンドスケープ」構想にも関わって来るのではないか。

興味があれば、西洋音楽史を頭の片隅に置くと、バンドの音楽とは違う局面からも曲の構成を考察出来るはず。原始キリスト教からの「スピリチュアル・ジャーニー」を味わえるだろう。

ピート・タウンゼントの自伝にも、人生を変えた瞬間として、この「天球の音楽」を聞いたときのことが出てくるので、これから読む方は、遠い宇宙の何処かにある、ピートやピタゴラスにしか聞こえない音に耳を傾けるつもりで読むと一味違うものになるかもしれない。
 
意外なことに(常に現実的な)ロジャーも「精神=スピリチュアルなもの」について、ピートとは違う角度で、かなりこだわっているようだ。
ロジャーの場合はケルト的なものに根ざしているだろうが、本気で信じているのは間違いない。キースが亡くなった直後にも降霊術を試みている。
彼の伯母(英語に区別はないので『叔母』かも知れないが)は霊媒師だったそうだ。

そんなロジャーの音楽の捉え方は「最後に残された自由」だ。
「本なら焼かれ、絵は壁から外されてしまうが、音楽を取り上げることは誰にも出来ない」という信念で、曲の中に宿ることを徹底し、歌い上げる。

日本公演でも「キースやジョンの魂が音楽を通じ、宇宙に木霊する」と言っていたのを思い出して欲しい。
そして、「管楽器の音がジョンを思い出させ、ブラスバンドは英国労働者階級のソフトで『スピリチュアル』な音楽」だと言っていたことも。(イギリスとブラスバンドの歴史は長い)

「ザ・フーは89年、96年〜のビッグバンド編成を反省している」と一般に語られているそうだが、ビッグバンドの一員という家系に育ったピートだけでなく、ロジャーも管楽器に愛着を持っているし、これからもどんどん自分たちの文化を他国のファンに伝えたいと思っているはずだ。
せっかくザ・フーという音楽的にも希有なバンドのファンなのだから、音楽そのものはもちろんだが、文化的背景や生い立ち、その影響といった部分にまで「精神」を巡らせ、「楽」しみたい。

いずれにせよ、音楽から精神(「楽」=楽しい)をとってしまうと文字通り、ただの「音」になってしまう。

今宵の月を眺め、宇宙の何処かに木霊する「天球の音楽」に想いを馳せるとしよう。

 

ピタゴラスの音楽と精神に関する参考URL
http://www.kapelle.jp/classic/cd_memo/brendel/music_history_1.html
(もっと詳しく調べたい方は「ピタゴラス 音楽 精神 ギリシャ 三位一体 music of the spheres」等で検索してみて下さい。Quadropheniaすら関係しているのではないかと思えてくるでしょう)

 

地球の重力に魂を引かれているから、宇宙に木霊するキースとジョンの音を感じることができないのだよ。
〜赤い彗星のロジャー・ダルトリー

(↑捏造です、すみません ・・。m(_ _)m )

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